「自分は間違っているかも知れない」との視点を持つ。

もし自分が常に正しいと固く信じてしまうと、
その人生はしんどすぎるように思います。
自分以外は間違っているということになって、
他人を軽蔑してばかりの毎日になりますね。
そして、行き過ぎると周りの人々と対立ばかりで
多くの人々が去っていきます。
そんな生活は寂しいかぎりです。

<性善説の日本社会>

ところで、日本社会で育った我々は、
基本的に性善説で他者を見ます。
どんな悪いことをしている人でも、
本当はそんなに悪い人ではないと考えるのが
日本人の人物観でしょう。

この考え方だと、悪い人はいないということで、
つまり正しい人ばかりであるということですね。

確かに、悪い(とされる)ことをした人でも、
反省を表明すれば「ほら、根っから悪い人でなかったね」
と思われることは多いです。

一方で、でも、正直に(?)反省していない態度を
とる人に対しては、過剰なまでに攻撃をするのも
日本社会の特徴とも言えます。

攻撃する側の人々は、
自分が悪いことをしているとは思っていません。
自分は正しいと信じて、悪を批判するという
正しいことをしていると信じています。

うーん、これって攻撃している人々が正しいと
言えるものでしょうか?
少なくとも、世の中は正しい人ばかりとは言えません。

<自分と他者の正しさは相容れない>

1つ言えることは、自分が正しいと信じてしまうと、
そうでない意見や態度の人々に接すると、
間違っている、あるいは、悪とみなしてしまいがちです。

喧嘩も、戦争も、双方とも自分が正しいと信じています。
そして正義の為に殺し合います。
自分が正しいと信じるだけの人は、
それを丸ごと受け入れてくれる人以外に対しては、
間違っているとみなすことになります。

それぞれの人が正しいと思うことは、
人それぞれでバラバラです。
自分の正しさと、他者の正しさは、
そもそも相容れないものではないでしょうか?

<性悪説で自分をみる>

それでは、性善説の反対である性悪説で
自分を見るとどうでしょうか?

自分こそは正しい、との考えにはなりにくいです。
なぜなら、性悪説では自分の中には悪があり、
自分は完全な善ではないことを前提としています。

他者と意見が対立したときに、
それぞれが「自分が間違っているかもしれない」
という思いが少しずつでもあれば、
正義を盾にした一方的な非難なんてしようと
思うでしょうか?

<1つだけのスタンスは選ばない>

1つのスタンス、思想などを選ぶと、
上述したように自分は正しいと信じがちです。

そして、自分は正しくて、
周りの人々はみんな間違っていると思うならば、
その人の日常は他人を軽蔑してばかりであり、
人と争ってばかりです。
いや何とも、つらい毎日ではないでしょうか。

正しさは、人それぞれ何通りもあります。
自分こそが正しいと信じてしまうのではなくて、
自分は間違っているかも知れない、
と思える性悪説の視点を持つことが、
結局は自分が抱えるストレスを軽減することに
なるのではないでしょうか。

(2020年12月14日)
山本恵亮
1級キャリアコンサルティング技能士
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