心配が運んでくるのは不信!?

組織で人の上に立つようになると、
いろいろな人が他のメンバーに対する
情報を自主的に運んできてくれる。

ワザワザ情報を集めようとしなくても
あの人はこんな実績を持っている、
あんな性格だ、などと教えてくれるのだ。

それによって、当初は自分が知らない
メンバーを知ることも出来て参考にもなる。

しばらくすると、組織や仕事のことなど
全体のことを心配して、
言いたくもないけれど…と教えてくれる
人も出てくる。

「組織のことを考えれば、
Aさんの〇〇という傾向は心配です」

「会社の為に言うのですけれど、
Bさんは〇〇が苦手なことは心配です。
気を付けた方がいいかもです」

「仕事をきちんと回す為には、
Cさんが〇〇しないことがトラブルを
引き起こすのではないかと心配です」

これらのような「善意」の情報提供が
次第に増えてくることが多々ある。

それをあなたは、どう受け止めるか?

「そうですか。Aさんを指導しておきます」
「ありがとう。Bさんには気をつけます」
「なるほど。Cさんの役割は考えます」

などと、答えることは楽だ。
その瞬間は頼れる上司って感じを持てるし、
「助言者」に対してええカッコも出来る。

それで良いのか?

答えは、否だ。

人の上に立つ者として、
他人からの「心配です」を鵜呑みにする
ことは落とし穴だ。

心配の裏には、他者に対する不信がある。
その人がちゃんとやれないと決めつけて、
起こりそうな失敗や悪い影響をあれこれと
想像しているのだ。

そして、一度でも、その想像が的中したら、
「ほれ、みてみぃ。言うた通りやろ」
と心の中で喜ぶ。

それが、心配が引き起こす作用だ。

不信が心配を引き起こし、限られた
影の部分に注目させ、さらに不信と
心配が生み出される。
そうなると不信と心配の輪が閉じず、
組織は次第に弱体化していく。

だから、人の上に立つ者や
人の先を行く者は、
心配ごとを大そうなことのように
言ってくる「助言」には注意しよう。

(2017年5月23日 山本恵亮)