孔子の有名な言葉で下記がありますが、
これ、キャリア形成の観点からは、
参考になることと、そうでないことがありますね。
子曰く、吾れ
十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順がう。
<孔子にツッコミ>
この言葉は、あくまで孔子が
「自分の場合はこうだった」と言っているだけで、
こうあるべきってことでは無いと思いますが、
しばしば引用される言葉でもありますので、
僭越ながらツッコんでおきたいと思います。
吾れ十有五にして学に志す。
→ 現代と比べると普通というか、少し遅めですよね。
今は小学生からガンガン勉強している人も多いです。
15で学びに目覚めたということは中学3年で、
高校受験勉強に目覚めるとの同じタイミングです。
もちろん”学“の中身が異なるのかも知れませんが。
三十にして立つ。
→ これは標準的ですね。
現代では社会人になって仕事で一人前になって、
活躍し始める時期です。
また、「自分は〇〇の専門家だ」というような
アイデンティティも確立する時期ですね。
四十にして惑わず。
→ ここは「ほんまかいな!」とツッコミたい。
キャリア心理学で中年の危機というように、
40前後は迷う時期です。
昔は違ったとう見方もあるかも知れませんが、
中世のヨーロッパの古典ダンテの「神曲」は、
次の文章で始まります。
***
ダンテは人生の道の半ば、三十五歳の年に
暗い森の中へ迷い込む
***
当時ヨーロッパの上流階級の人々が70歳位まで
生きていたのだとしたら、
ダンテはまさにその半ばで仕事に失敗して
人生に迷い悩み苦しんでいるのです。
当時から40歳前後の中年の危機はあったと言えるでしょう。
孔子はそれがなかった稀な人なのか、
その前に悩みを卒業したのか。
ま、前向きに解釈すれば、
我々も孔子の様に40で惑わずと言えるよう、
アラフォーのアイデンティティの危機を乗り越えたいものです。
五十にして天命を知る。
→ これは、そうありたいですね。
50と言えば、キャリアの総括時期。
いろいろなことをまるっと飲み込んで、
これでよかったと思う時期です。
そして、自分の運命(天命)はこうだとわきまえる
ということなのでしょう。
個人的には天命(使命)はこれだというものを
その年でも感じて精力的に頑張りたいですが、
これは未熟さの故なのか…。
六十にして耳順(した)がう。
→ 遅いでしょ!
孔子ともあろう偉大な人物が60にしてやっと
素直に人の言葉を聞けるようになったとは、
どんだけ頑固だったのかと問いたい(笑)
ま、それだけ他人の言葉を素直に受け入れることは
難しいのかも知れません。
<耳順うの難しさ>
人から言われることを素直に聞くのは、
確かに難しいですね。
また、これの意味しているのは、
単に聞くという行為だけでなく、
「自分は間違っていない」という頑なな態度を
人は取りがちであるということかな、
とも思います。
特に、日本で生まれ育った我々は人に対する見方は
性善説です。
他人に対してだけでなく、自分に対しても。
これは仲間に対してはとても優しく出来るという
素晴らしい側面はあるのですが、
一方で自分に対しても甘くなってしまい、
「自分は正しい」「間違っていない」という
独善的な態度になりかねません。
「自分は間違っているかも」との考えが欠落していると、
素直に他人の言葉を聞くことが出来ません。
強い意思を持ちながらも、
一方で、間違っているかも、という突き放した見方も
出来ることは大切ではないでしょうか。
六十と言わず、今すぐに身につけたいものです。
(2021年1月25日)
山本恵亮
1級キャリアコンサルティング技能士
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